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山逢いのホテルで

公開: 2024年11月29日
  • 映画監督  清原惟

    山間のホテルで繰り広げられる熟年の恋愛を描いた作品。この主人公のように、障がいをもつ子どもの母が、自己犠牲を強いられることがあることは取り上げられるべきだと思う。そんな彼女の自己実現のひとつとして恋愛を描くことは否定しないが、気になってしまったのは恋愛=性愛という単純化された描写に見えたこと。恋人の研究への興味という精神的繋がりはあるが、それでも過ごした時間に厚みを感じとることができなかったのが残念だった。見たことのない景色たちには圧倒された。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    ジャンヌ・バリバールは、アルレッティからアヌーク・エーメへと受け継がれたフランス映画固有の古典的な面差しをもったヒロインの系譜に位置づけられる女優である。障がいを持つ息子がいる母親がスイス湖畔のリゾートホテルで毎週一人の客と一度だけの情事にふけるという一見、安手のメロドラマじみた絵空事が、ある切実さを帯びて迫ってくるのはバリバールが演じているからにほかならぬ。ベッドで中年にさしかかった肢体を惜しげもなく晒すバリバールにはただただ驚嘆するばかりである。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    謎めいた中年女性が壮大なダムの上にたたずむホテルを訪れる。彼女は宿泊客の男性の中から1人選び、ベッドを共にすると、電車で下界に降りていく。彼女は障がいを抱える息子と暮らしている。息子はダイアナ妃のファンで、時代設定がうかがえる。母親の愛情は本物だが、ある男性を愛したことから、女であることと母であることに引き裂かれていく。ぼくも母子家庭なので、母の内なる葛藤を想像したことがあるが、これがデビューとなるラッバスは洗練された視覚言語を使って人生の転機を切り取ろうと試みた。

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ザ・バイクライダーズ

公開: 2024年11月29日
  • 俳優  小川あん

    ’60sの伝説的モーターサイクルクラブの軌跡。完全な物語に寄らず、その中心にいたベニーの妻、キャシーによるインタビューから軌跡を追うことになる。この形式がますます傍観者として、憧れ・ロマンを掻き立てる。キャシーが走馬灯のようにあの頃の青春を浮かべれば、男のロマンが女のロマンにもなり得るのだ。ベニーのような夫を、わたしもあのような形で苦しみを感じながらも、愛してしまうと思う。ジョディ・カマー、オースティン・バトラーも最高に尽きる。推しのコンビに+★1

  • 翻訳者  篠儀直子

    男ふたりと女ひとりのトライアングルで、中心となるのは(取り合いの対象になるのは)オースティン・バトラーだが、物語自体の中心は若い夫婦ではなく、枯れた魅力と色気が共存するトム・ハーディ。題材から想像されそうなアクションや、バイク走行の疾走感よりも、時代の変化と人生の機微、人物の心理の交錯が作品の主眼。俳優の表情をとらえたクロースアップで、しばしばカット尻を長く残しているのが効果を上げる。「チャレンジャーズ」に続き、マイク・フェイストの柔らかい個性が映画を温める。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    60?70年代のシカゴのバイクライダーを捉えた同名写真集にインスパイアされた作品で、アメリカの暴走族グループの栄枯盛衰を描く。カリスマ的リーダーをT・ハーディ、グループ内一匹狼をA・バトラーが演じ、骨太の不良の美学を濃密に描く。劇中にマーロン・ブランドが暴走族を演じた「乱暴者」が紹介され、ハーディがブランド、またバトラーは往年のジェームス・ディーンを彷彿させる。男らしさや不良は今やノスタルジーだが、この命懸けのノスタルジックな美学は魂を揺さぶる。

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正体

公開: 2024年11月29日
  • ライター、編集  岡本敦史

    最初は豪華キャストとシリアスな語り口に目を奪われるが、徐々にリアリティのない展開が目立ち、鼻白む。冤罪というテーマは、袴田巖氏の無罪確定のおかげでまさにアクチュアルな題材のはずだが、いまどき「あの人がそんなことするはずない」「信じてるから」といった人情劇に終始するのは古風に過ぎる。物語の核となる冤罪の形成過程もさすがに甘い。韓国映画を意識したような映像演出もあるが、力技に頼らず確固たる作品理解で「最適な語り口」を見出す本質までは模倣できていない。

  • 映画評論家  北川れい子

    緩急のある手際のいい演出につい身を乗りだす。がいくら娯楽サスペンスという枠の中での話であり設定だと分かっていても、主人公の扱いの乱暴さにはさすがにオイオイ!日本の警察が犯人をでっち上げることは今さら珍しくはないが、一家3人殺しの容疑で逮捕された主人公は、そのままズルズル死刑囚に。その彼が逃亡しての1年間で、TPOに合わせた変身はまさにプロ級、演じる横浜流星、目立たず、騒がず、黙々と、髪型や目つきまで変えて映画を引っ張っている。でもやっぱり乱暴な印象は拭えない。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    原作未読で予備知識なく目にしたので、別々の俳優が同一人物を演じていると信じ込んでしまった。横浜流星の見事な演技の変化は、顔の骨格まで別人に錯覚させてしまう。袴田さんの無罪や、八田與一の逃亡ともリンクするタイミングの公開だけに、現実を上回る虚構を見せて欲しかったが、古典的な“逃亡者もの”に収まった感。前半は犯人情報の提示がTVを通してばかりなのも単調。不利な証言をする重要目撃者の女性や、痴漢冤罪事件など、女が男を陥れるという構図の強調が気にかかる。

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ドリーム・シナリオ

公開: 2024年11月22日
  • 映画監督  清原惟

    ニコラス・ケイジ扮する地味な大学教授がたくさんの人々の夢に出てくる、といったあらすじを読んで「マルコヴィッチの穴」的なSF感のある映画なのかと想像していたが、全く違うものだった。起きていることは超常現象でも、それに対する人間の反応はとても現実的で、非のないはずの主人公が、ネットやメディアでの立ち振る舞いによって罰せられていく様に現代の残酷さを見た。主人公の冴えなさの絶妙なさじ加減や、胡散臭いベンチャー企業の若者たちの言動など、ディテールが印象的だった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    プレスに名優とあるが近年は迷優の呼称がふさわしいニコラス・ケイジがアリ・アスターと組んだホラー。「マルコヴィッチの穴」みたいな不条理コメディを予想したがさにあらず。ケイジ扮する大学教授が何百万人もの夢の中に現れ、一夜明けたら超有名人というアンディ・ウォーホルのマキシムとユング心理学を合体させたようなアイデアは面白い。しかしバカバカしい荒唐無稽な弾けた笑いを期待するも、シリアスな語りで通り一遍なキャンセルカルチャー批判に収斂したのが惜しまれる。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    ノルウェー人監督ボルグリの映画では「シック・オブ・マイセルフ」の現代的な自意識の観察に感心した。新作はアメリカが舞台で、キャンセルカルチャーに晒された実在の教授から発想したのだという。ニコラス・ケイジ扮する冴えない教授が、生徒をはじめ様々な人々の夢の中に出てくるようになり、有名人になるが、やがて理不尽な排斥の餌食になる。チャーリー・カウフマン風の夢のイメージはさほどのものではないが、イメージが意識下を侵食して現実感を狂わせるSNS時代の自意識を風刺しようとしている。

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アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師

公開: 2024年11月22日
  • 文筆家  和泉萌香

    ネトフリ作品にはまったく疎い筆者でも耳にするドラマ『地面師たち』が流行ったタイミングでの詐欺集団映画は吉と出るか凶と出るか。詐欺集団と脱税王の二、三転する攻防戦を期待したが絶体絶命のピンチもなくクライマックスまで進んでゆくが、内野、岡田、小澤のキャストはハマり役。安心感ある娯楽作だが、もともとは人気スター主演の韓国ドラマがオリジナルとのことで、我々も年々高くなっていくあらゆる税金に苦しめられ中とはいえ、わざわざリメイクする必要があったのか疑問。

  • フランス文学者  谷昌親

    詐欺師が活躍する犯罪映画である以上、予想外の展開で観客を唸らせることが目指されている。事実、原作にあった設定とはいえ、公務員と詐欺師という意外な組合せは、公務員を内気な男にすることでより際立った。だが一方で、いかに予想外であっても、観客を納得させる着地点を作らねばならないのがこのジャンルだ。つまり、予定調和的になるのであり、そのあたりは上田慎一郎監督の真骨頂ともいえる。だが今回は、すべてがあまりにも予定調和的になってしまったのではないだろうか。

  • 映画評論家  吉田広明

    詐欺集団が詐欺を仕掛ける相手が悪徳不動産屋なので、勧善懲悪、気分良く見られるのは確かだが、素人の税務署員が絡むことでリスクが高まる。というか、部下にも上司にも友人の刑事にも、果ては娘にまで何かしていると感づかれるようでは大丈夫かとこちらが心配になるレベルなのだが、その危うさが計画を左右するキーになるというわけでもなく、天才的な計画の体で話が進むのも疑問。その犯行も地面師詐欺で、ネトフリのドラマの後では描写が雑に見える。 

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チネチッタで会いましょう

公開: 2024年11月22日
  • 文筆業  奈々村久生

    2020年代に入って2本目となるモレッティの新作は彼自身が映画監督を演じる系譜の一本。ドゥミやフェリーニをはじめ往年の映画界へのオマージュは、時代の変化についていけない高齢者の言い訳のようでもあり、映画言語だけで物事を語ろうとするシネフィルの滑稽さが逆説的に批評性を獲得しているのが皮肉。ただ、プロデューサー役のマチュー・アマルリックと二人、かつて「親愛なる日記」で走らせたベスパから電動キックボードに乗り換え、夜のローマを滑走するカットはいつまでも見ていたい。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    ナルシシズムが強い政治的な男性の映画関係者が主人公の、古い映画をいろいろ引用してるらしき(そんなことを言われたって古い映画ぜんぜん観てないからわからん)映画についての映画が苦手だ。映画という表現そのものを否定するオチにでもしないと、結局は主人公の人生を肯定して終わることになる。なぜそんな特権をもてるのか。巨匠モレッティ70歳でお元気なのは結構だが、たけし(も76歳か)の暴力映画のナルシシズムのほうがいい。死者と敗者の(だよね?)行進も、感動できなかった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    撮影中の映画が資金難で暗礁に乗り上げた監督をモレッティ自身が演じる。イタリア共産党の話らしいが政治的意図は感じないし、プロデューサーの妻が担当している若手監督の現場に乱入し、撮影を止めてしまう狼藉に?然とする。みずから老害という宣言か、本当に昨今の作品が観るに堪えないと思っているのか。チーヴァー原作の「泳ぐ人」を撮りたいという発言も、すでにバート・ランカスターの名作があるのに、それを超えられるつもりなのか、どういう心理か測りかねる。

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六人の嘘つきな大学生

公開: 2024年11月22日
  • ライター、編集  岡本敦史

    全篇「帰んなよ、もう」と思いながら観ていた。そんな選考方法で新入社員を選ぶ会社なんざ願い下げだと、最近の優秀な若者こそ思うのではないか(一応、平成末期っぽい設定だが)。劇中のセリフどおり「いい会社に入ることしか考えてない学生」としか、作者が登場人物を見ていないことに辟易。優位に立つ目上の者(企業)に対してまるで反発しないまま自己解決を図る社会人のタマゴという、リアルなモダンホラーを描くならわかるが、誰もそこを突破しないので風通しはすこぶる悪い。

  • 映画評論家  北川れい子

    就活中は月と同じで表面しか見せない、と6人の1人が言う。世間では、外側は本質である、とも言うけれども。ま、それはともかくこの作品、ただ漠然と観ている分には面白くなくもないが、次々と1人ずつ槍玉に挙げて相手の弱みや過失をいじくり蹴落として、という展開は、かなりイヤラシく不愉快で、次第に6人が哀れに見えてくる。むろん、どんでん返しのための仕掛けではあるのだが、就活生でオハジキごっこをするな!と脚本、監督に喝をいれたくなったりも。6人の俳優たちはみな頑張っているが。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    「大学は出たけれど」「就職戦線異状なし」「何者」に連なる就活映画だが、本作では企業が昔ながらの身辺調査で堂々と素行をあげつらうので驚かされるが、一捻りしてある。しかし、グループディスカッションでどんな暴露があっても、最初に設定した時間ごとに投票を行うことを全員が律儀に守るところからして就活ゲームでしかない。6人採用予定の企業が急遽1人のみに変更した時点で経営が危なそうなのはともかく、浜辺だけが正義のまま傷つくこともないのはかえって損な役回り。

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対外秘

公開: 2024年11月15日
  • 文筆業  奈々村久生

    地方の一政治家から国政を目指す男のなりふり構わぬ奮闘と復讐劇に、釜山国際映画祭のお膝元でもある海雲台エリアをめぐる利権ドラマが絡む。人々の思惑が入り乱れ、誰にとっても思うようにいかない選挙戦が終盤で見せる驚異的なねばり。韓国版「最後まで行く」で怪演を披露したチョ・ジヌンの終始胡散くさい立ち回りは、人は環境次第で善にも悪にも簡単に転ぶという現実をあまりにも人間らしく証明した残酷なサクセス・ストーリーでもある。剃髪で役に臨んだイ・ソンミンの異形っぷりも見もの。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    韓国でも、もちろん日本でも、いちおう民主主義だってことになってる国で政治を仕事にするというのは本当にこういうことなんだろう、人も本当に殺されるんだろう。映画を観るほうもそのくらいのことは思ってるし、応援したくなる魅力的な登場人物が(女性記者もふくめて)誰もいないので、「衝撃のラスト」に衝撃がない。もっとヤクザを悲しい造形にしておくとか、主人公が最初のうちは本物の正義の人であるとか、やりかたはあっただろうに。政治に呑気に絶望している場合ではないと思うのだが。

  • 映画評論家  真魚八重子

    ポリティカルドラマ、または土地の再開発をめぐって動く大金を狙った出し抜き合いの物語。……でありつつ、核となるのは他の登場人物たちを削り落としていって、残った男二人の、知能と暴力的感覚を最大限に活かした決闘である。自らの陣営の重要な駒となる人物の、どれを泣く泣く潰して地盤を固め、相手の意表を突いて失脚させるかという頭脳戦だ。相手を蹴落とすはずの証拠も過信すると、思いがけないしっぺ返しが来る。地味だが最後まで予想がつかない良質なサスペンスだ。

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動物界

公開: 2024年11月8日
  • 俳優  小川あん

    高い完成度のハイブリッドな作品。人間が動物化する感染ウイルスが国内で蔓延するような漠然とした世界観から、家族間の私的な問題へ移行し、さらに主人公が直面した個人の尊厳へと帰結する。これまで多くの映画で使用された題材が組み込まれているが、扱いはもっと繊細だ。その細部の描写がリアリティに富んでいて、現代社会とさほど遠くない。とくに、結末で親子が下した判断からは、そうせざるをえなかった社会の傲慢さと、適応する環境へ身を運ぶ必要性を汲み取った。

  • 翻訳者  篠儀直子

    古くから神話に見られる変身譚の変奏のようでもあり、ボディ・ホラーの流れの一環のようでもあると同時に、昨今の世界に照らしてさまざまな読みが可能な物語。参照作として監督が挙げている作品とは別に、筆者が連想したのは1940年代RKOプログラム・ピクチュアの古典群で、そうするともう少し簡潔にまとめてほしかった気もするのだが、南仏の美しい風景、学校の授業の様子などの描写が、荒唐無稽と思われそうな世界を見事に日常に着地させる。エミール役のポール・キルシェの演技は天才の域では。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    人間が動物に変異する奇病が蔓延する近未来のフランスが舞台。主人公の男性料理人と動物に変異しつつある妻、そして自分の体の異変を感じる息子の三人を軸にした近未来SF。変異した人間を隔離・攻撃する側と同じ人間として扱う側の軋轢というコロナ・パンデミックのメタファー的設定とギリシャ神話に通じる半獣神というモチーフを用いて、荒唐無稽な設定にヨーロッパ映画ならではの思索的リアリズムを導入することに成功。抑制の効いたVFXも見事な完成度で、深い共感を呼ぶ「明後日の神話」。

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ベルナデット 最強のファーストレディ

公開: 2024年11月8日
  • 文筆業  奈々村久生

    かつて男性のサポート役としてその功労が描かれてきた女性の活躍を表舞台のものにする時代の流れと、大統領の妻であったベルナデット・シラクの実話を上手く融合させたストーリーテリング。宿敵サルコジとの間での立ち回りやプライベートな家族問題まで過不足なく詰まっていると同時に、女性エンパワーメントのフォーマットに沿って口当たりよく記号化されているような側面も。その上でドヌーブの鷹揚なコメディセンスが光る。特にフランスらしいエスプリの効いたシニカルなセリフの返しは絶品。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    政治を語るために人間を出すんじゃなく、人間を語るために政治がでてくる。こういうふうにやってくれると政治も映画の題材として面白いんだよなあ。現実のベルナデットの写真や映像によるオープニング直後、まったく似せる気がないドヌーヴがぬけぬけとでてきて笑った。観た人の多くがしびれるだろうラストの個人的な一言を言わせるためだけの、一国の一時期の政治史。こんな映画、日本でも作れないもんかね。同世代の関係者みんな死んでからでいいので安倍夫婦の奇人ぶりを描くとかさ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    フランスのメジャー映画はときどき演出がダサい。日本の娯楽路線の寒い笑いの映画に近いものがあって、本作も登場人物の善悪の分かりやすさが短絡的すぎると感じる。映画の中に一貫性が足らず、自立を図ろうとするベルナデットが、夫に秘密で大胆な政治的行動を取りながらも、夫の脅しでひるんでしまうなど、どっちつかずの演出が目に付く。誰の意向なのか、現実のベルナデットの洗練された服装に比べて、ドヌーヴが徹底してゴテゴテした趣味の悪い衣裳をまとうのも不思議だ。

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イマジナリー

公開: 2024年11月8日
  • 俳優  小川あん

    ある意味で主役は、主人公ジェシカの継娘のアリス。名前からしても「アリス・イン・ワンダーランド」? これは、ホラー映画ではなくて、ファンタジーでしょう。そもそもイマジナリー・フレンドはホラーではなくて、心理学で一種の現象とされている。それが本作では擬人化して、過去のトラウマと結びついた。開けゴマ!的な瞬間や、深層世界を見るのは楽しいけれど。あの、あからさまに怪しいお婆ちゃんの消え方は無茶苦茶だし、もっと違った形でコミットしたほうがよかったのでは?

  • 翻訳者  篠儀直子

    ホラー映画として進行していたのが、クライマックス以降完全にバトル映画と化して全然怖くなくなるのも、女性たちが連帯して戦うのも、以前ここで取り上げた「死霊館のシスター 呪いの秘密」と同じなので、最近のトレンドなのだろうか(特に後者についてはそうだろう)。恐怖がじわじわ迫ってくる描写も、主人公が夫の連れ子姉妹との関係に悩みつつ、自分の過去へと降りていくというアイディアも悪くないと思うが、フリだと思えた箇所がいくつか結局機能しないままだったのは、息切れしちゃったの?

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「ゲット・アウト」「M3GAN/ミーガン」で知られるブラムハウス・プロダクションズと「ソウ」シリーズのライオンズゲイトがタッグを組んだホラー。少女が愛するテディベア人形が巻き起こす恐怖を描く。プロットを聞いただけで「ミーガン」×「TED」かよ?と想像すると、想像以下の展開に。テディベアを使った恐怖描写があまりに凡庸で、せめてミーガン人形のようなダイナミズムが欲しいもの。こんな安易な企画でも、子どもにはぬいぐるみへの要らぬ恐怖心を与えてしまうだろうから、製作陣は猛省してほしい。

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本心

公開: 2024年11月8日
  • 文筆家  和泉萌香

    人工知能の発達や記憶というテーマをめぐって、二十世紀から今までさまざまな物語や映画がつくられてきた。本作では「自由死を選んだ母の本心」というミステリを出発点に「格差」に「愛」などテーマは広がるも、すべてつまんだようで半端な印象がぬぐえないし、取ってつけたようなダンスシーンにも鼻白む。しかし某大ヒットアニメ映画の際にも同じような指摘がされていたが、まったく必要とも思えない、ポルノの見過ぎと言いたくなるような台詞を10代の女の子に言わせるのは一体なんなのか。

  • フランス文学者  谷昌親

    すぐれた原作があり、実力のある俳優陣が揃い、優秀なスタッフが控えていれば、成功作となる素地はできている。AIや仮想現実がテーマとなると、話題性にも事欠かない。しかし、すべての要素が集まっているからこそ、それをどう組み立てていくかが問題で、監督の演出術がより大事になる。石井裕也監督は、壮大なテーマをはらんだ物語を、ある意味ではごく素朴に、それでいてきわめて繊細に扱った。むやみにCGを使わず、簡潔に撮り上げる演出のもとで、物語に生命が宿ったのである。

  • 映画評論家  吉田広明

    AIが死んだ母を生成するということの倫理的問題、また息子の心理的揺らぎがメインのはずだが、自死の問題(権力による福祉負担減少の狙いも)、アバターの行動代理(リアルの負担が弱者に負わされる格差構造)といった副筋が入り込んでくるため焦点がぼやけ、まとまりが弱化。AIによる人格生成自体が込み入った複層的な問題を提示することは分かるし、塊を投げつけるかのような演出が監督の持ち味であることを承知したうえで、より丁寧な作劇が欲しかった。

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ルート29

公開: 2024年11月8日
  • 文筆家  和泉萌香

    緑が毒々しいくらいに鮮やかで、多様なイメージとともに生と死、幻と現実、そしてふたりのやりとりにもあるように、他者と自分の夢が交わるような場所にひかれた道をゆったりと進んでゆく。面白いのが狙ってか狙わずしてか、主人公のふたりだけが見えているであろう景色のみが生き生きとみえ、どうにも相容れないであろう他者の描写は(たとえ肉親であっても)どんよりと冗長だ。社会が介入したあとに、ついには観客の目にもみえるかたちで夢が噴出するラストシーンが潔く、美しい。

  • フランス文学者  谷昌親

    原作が詩集だからでもあるのだろうが、それこそ詩的であり、同時に、乾いたユーモアで彩られ、一風変わったロードムーヴィーになっている。しかも、ラストにはファンタジー的とも呼べるシーンが置かれている映画だ。そうした映画のあり方から逆算したのかもしれないが、独特の演出法が採られている。それは、森井勇佑監督の才気煥発ぶりを示す演出でもある。しかし、こうした演出をするのであれば、エピソードを少し刈込み、もっと省略表現を効果的に用いるべきだったのではないか。

  • 映画評論家  吉田広明

    原作となる詩集を未読なので、そこからどのように想像力を働かせてここに至ったのかは評価しかねるのだが、しかしいくら詩集からの映画化とは言えこの緩さはどうなのか。ロードムービー自体が緩い枠組みではあり、しかしそれが生まれるには歴史的必然があった筈で、その意識が欠けた本作では単に人と次々出会うための形式に過ぎない。変な人たちをロングで、変な間で捉えれば面白くなるのか。新進なら水平的な加算でなく垂直的掘り下げの困難な道を選ぶべきでは。 

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ゴンドラ(2023)

公開: 2024年11月1日
  • 文筆業  奈々村久生

    空の上ですれ違う二台の赤いゴンドラ。交わる視線。交互に訪れる停留所で指し合うチェスの対戦。 二人の女性乗務員の交流がセリフなしで語られる、一目見ればそれとわかるスタイルは「ツバル TUVALU」などのファイト・ヘルマー監督のもの。更衣室での目撃カットから漂うそこはかとなく官能的な匂い。山あいに生きる人々の生活音が音楽を奏でるミラクル。シンプルでミニマムなコミュニケーションの限りない豊かさ。夜の闇に浮かぶライトアップされた車体が彩る密会は涙が出るほど美しい。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    セリフがなくなるだけで我々観客はこんなに目を使うようになり、こんなに画面の情報量が増すものなのか。ちょっと衝撃だった。すべての脚本家と監督は(まあアニメだと商業的に難しいだろうが)台本をつくりながらセリフというものは本当に必要なのか、セリフがなかったらその物語は成立しないのか、一度は真剣に考えてみるべきなんじゃないか。セリフがないと恋愛というものが成立していく過程がゆっくりゆっくり感じられる。ただ寓話なだけに「悪役」は割をくってて可哀想だな、とは思った。

  • 映画評論家  真魚八重子

    山の谷間を交差する二つのゴンドラ。それぞれに乗る二人の女性添乗員は、すれ違うとき互いに悪戯をして楽しむ。全体に他愛もないが、その様々な意匠の凝らし方が、可愛らしい企みで微笑ましい。彼女らの恋が距離を縮めるにつれて、地上も巻き込んだ祝祭となっていく。男性同士の恋愛だと、こんなに屈託のない作品にはならず現実の苦が滲む。幸福感だけに満ちた男性同士の愛の映画の不在と、男性監督にとって女性同士の恋愛は、結局ファンタジーであることの露呈を同時に感じる。

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ノーヴィス

公開: 2024年11月1日
  • 映画監督  清原惟

    大学でボート部に入部し、異様なまでに勝ちに執着する主人公の心理を描く作品。はっきりとは明かされないが過去のトラウマによる傷を抱えている彼女の心のうちを、スポーツという行為を通して紐解いていくアプローチに惹かれる。部活内での人間関係の話と思いながら見ていると、急に彼女には見えていない物事の側面が現れて、自分自身が彼女の世界に閉じ込められている閉塞感と、妙な高揚感を感じていた。彼女の感知する世界を、音を使って表すのは古典的ではありながらも没入感がある。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    ふと虫明亜呂無の『ペケレットの夏』が脳裏を掠める。競漕に魅せられ、自ら得体の知れぬオブセッションに取り憑かれたヒロインからいつしか目が離せなくなる。仲間との軋轢、嫉妬、統御しがたい内攻する感情の奔出。反復される、朝まだき河川のトレーニングの光景がすばらしい。素肌にまといつくような豪雨、水と大気の匂い、筋肉の弛緩、水面を滑走するオールの官能的な肌触りが生き生きと伝わってくる。異化効果のようなB・リー、C・フランシスの甘い60年代ポップソングも特筆ものである。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    一般的なスポーツ映画ではないことは、「エスター」のイザベル・ファーマン主演から想像していた。大学のボート競技ローイングの訓練に取りつかれた女性の強迫観念を観る者に追体験させる視聴覚的な緊張感が、同時に新鋭監督ハダウェイ自身の衝動を感じさせて特異である。アロノフスキーの「ブラックスワン」の影響は明らかだが、しかし、この主人公の狂的な完全主義は、特訓映画にありがちな外的な圧力に起因するものではなく、完全に内的な強迫観念に起因している。この点にこの力作の現代性があった。

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DOG DAYS 君といつまでも

公開: 2024年11月1日
  • 映画監督  清原惟

    何匹かの犬と何人かの人間たちの群像劇。娯楽的なタッチでありながらも、それぞれの人物が丁寧に描かれている。動物病院の院長先生や大御所建築家など、信念を持って働く女性たちが出てくること、その社会的立ち位置が見えてくることにも好感を持った。初めはめちゃくちゃ嫌な人だった動物病院のオーナーがいろいろなことを経て改心するのは、エンタメ的ご都合主義にも見えなくもないが、人は変わることができるのだというきらめきも感じた。動物たちの芝居がとにかくすばらしかった!

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    犬の映画といえば「トッド・ソロンズの子犬物語」や「ほえる犬は噛まない」を思い浮かべるのは少数派だろうか。どちらも愛犬家からみれば正視しがたい酷薄でブラックな受難劇。やはり本作のような登場人物がすべて〈善意〉というオブラートで包まれたヒューマンドラマこそが本流だろう。ある動物病院を舞台にそれぞれ階層も違う老若男女が交差しながら予定調和な大団円へと辿りつく。地味めなキム・ソヒョンとユ・ヘジンの恋の行方を含め、どこかウェルメイドな模範解答の味気なさも。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    現代における犬と人間の共生のヒューマンコメディ。日に日に家族のかたちは多様化している。共に生きれば犬も猫も家族であり、亡くせば片腕をもがれたような喪失感を感じる。人と同じように葬式をあげることも増えたが、資本主義的な発想や伝統的な考え方、何より凝り固まった人の意識が、その変化に追いつかないことがある。この映画は、人間の養子と保護犬、迷子犬の課題を重ね、死別、安楽死などのエピソードにリゾート開発の問題を盛り込んでお涙頂戴だが、人も犬もみな丸く収まるという娯楽作。

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ぴっぱらん!!

公開: 2024年11月1日
  • ライター、編集  岡本敦史

    ファミリー感溢れるアウトロー群像劇という「日本統一」シリーズなどでおなじみの話法による、極道一家クロニクルの第1部。伝説のヤクザ三兄弟が再集結するまでを描いた物語なので、本当に盛り上がるのは第2部以降なのだろう。せっかく長尺で在日アウトロー家族の年代記を描くのだから、もっと生活のディテールを丹念に織り込んでもいいと思ったが、ジャンルの定番描写とキャストの見せ場を積み重ねるのに忙しく、その余地が埋没しているのが惜しい。喫煙シーンの弱さも気になった。

  • 映画評論家  北川れい子

    俳優で劇団の主宰者でもある崔哲浩の監督デビュー作「北風アウトサイダー」(22)を観たとき、その前のめりな血の絆と負けん気に、井筒和幸監督の初期作品を連想したのだが、今回は血の絆だけではなく、さらに前のめりな暴力抗争が描かれ、画面から血が飛び散る勢い。ただ百鬼組の三兄弟はともかく、敵対するいくつもの組や構成員など、登場人物が多すぎるのと、時間軸がジグザグするのがややこしく、しかも話が尻切れトンボ! 各俳優陣の熱気に溢れた演技や凝ったカメラアングルには感心する。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    撮影所の時代に作られたやくざ映画と、Vシネマの時代に作られるそれは似て非なるものだが、隙間に双方の魅力が凝縮されたインディペンデントのやくざ映画がある。予算が限られようが、作劇の均衡が崩れようが、やりたいことを詰め込んだ作りは巧拙を超えて見入ってしまう(逆光のキラーショットも嬉しくなる)。殊に監督自身のアイデンティティを投影した在日やくざ像が鮮烈だが、大人数を捌く交通整理のために埋もれた感がある。続篇は登場人物を絞って、じっくり見てみたい。

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アイミタガイ

公開: 2024年11月1日
  • 文筆家  和泉萌香

    「川を渡る電車」がひとつのキーワードであり、近鉄電車も全面協力とのことだが、その肝心の穏やかで美しいロケーションを活かしたダイナミズムが感じられず、同じ土地に流れる大きな時間も過去のシーンが時折挿入されるばかりでこぢんまりした箱庭のよう。殺伐としたニュースばかりの現代において「人に親切であること」は最も重んずるべき行動の一つと思うが、全員が似たような方向を向いた、見事にやさしくいい人たちしか登場しない世界で描かれても、その嘘くささが悪手になる。

  • フランス文学者  谷昌親

    善い人ばかりが出てくる小説は嘘くさいと思ってきたが、いまは信じたい、と作中人物のひとりが述べる。実際、この映画には善人ばかりが出てくるのだし、その善人たちが偶然の作用でつながっていく美しい物語となっている。人生に希望を抱かせてくれる一方で、きちんとした人物造形と手堅い演出が印象的な映画でもある。だがそうしたすべての根源にひとりの人間の死があることを、この映画は本当に突き詰めているのだろうか。きれいなベールでくるむことになってはいないだろうか。

  • 映画評論家  吉田広明

    ウェルメイドな人情群像劇。知った同士が助け合うのではなく、知らない人にどこかで助けられていたことにそれぞれが気づく。各人物を繋いでいる不在の存在を中心にまるでスライドパズルのように全体像が動き、最後に完成する。不在が現存を動かすという機制は、当初の監督の死去に伴い、現監督が引き継いだという製作過程にも表れていて、その形式内容の一致に驚く。エンドタイトルで、主演の黒木が荒木一郎のTVドラマ主題歌を歌う選択にもグッと来た。

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ヴェノム:ザ・ラストダンス

公開: 2024年11月1日
  • 俳優  小川あん

    初ヴェノム。ご無沙汰マーベル。飽きさせないのは、凄い。ただ、いつも気になるのがシリーズものは遡ったら、初期が一番面白いこと。本シリーズでいえば、初期の地味さが、人かエイリアンかそのどちらの描写に注視するかの迷いが見えて、個人的には、そちらのほうが面白かった。キャラクターとしての人気から、ヴェノムの存在が派手になる。それにつれて、周囲の人物が死闘バトルのために出動する派遣要員にしか見えなくなってしまう。その時はその時で、盛り上がりはするのだけれど。

  • 翻訳者  篠儀直子

    ファーストシーンの見せ方があまりにぱっとしないので、早々に「こりゃだめだ」となり、キャラクターの魅力とコミカルなシーンで興味をつないで観ていたら、登場人物全員エリア51に勢ぞろいしてからの怒濤のバトルスペクタクルが意外によくできていて、突然評価が爆上がり。『ムー』を愛読していそうなおじさんが率いるファンキーな一家が、もう少し本筋にからんでもよさそうだけど。エディとヴェノムの掛け合いは今回も楽しく、いつまでも見ていたくなるコンビなのだが、ほんとにこれでラストなの?

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    マーベルコミックのダークヒーロー「ヴェノム」シリーズ3作目。地球外生命体の創造主である邪神ヌルが登場し、主人公エディとヴェノムがメキシコ?アメリカと国を越えて闘いを繰り広げる。本シリーズはトム・ハーディ演じるエディと彼に寄生するヴェノムのコミカルな二人羽織/腹話術状態が売りなのだが、それがかなりマンネリ化。アクションはほぼVFXに依存しているのでドキハラするわけでもなく、VFX二人羽織漫才、しかもネタ切れに付き合わされている気分になる。

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十一人の賊軍

公開: 2024年11月1日
  • ライター、編集  岡本敦史

    監督の基本的に生真面目で大仰な作風が、大仕掛けのアクション時代劇に驚くほど合致していた。しかも「権力の腐敗、機能しない秩序」「そのなかで生きのびようともがく人々」という過去作に通じるテーマでもあるので、嘘がない。仲野太賀の圧倒的な素晴らしさに負うところも大きい。本誌読者に観てほしいかどうかという基準で考えると、星を減らす理由が見当たらなかった。マイベスト岡本喜八作品「斬る」にも少し似ているところ、去年たまたま新発田城を見物した記憶も味方した。

  • 映画評論家  北川れい子

    賊軍として捨て駒にされた十一人にとって戦う理由はただ死なないため。官軍から砦を守るという使命よりも、血まみれ、泥まみれで生き残るための死闘を繰り返す。そんな彼らそれぞれに壮絶な見せ場を用意する脚本と演出が痛快で、155分の3割近くを占める戦闘場面も多種多様。けれども最も口中が苦くなったのは、新発田藩の家老による官軍向けの斬首パフォーマンス! 北野武監督「首」が冗談に思える蛮行で、がこれが結果として。嘘も方便ならぬ,蛮行も政治的方便とは、現実にもあるある。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    笠原和夫の原案プロットをほぼ生かして脚色しており、よくぞ作り上げたと感嘆。ただし、追加された阿部サダヲのパートが尺を取りすぎ、155分は長い。白石作品ではおなじみの、演出に介入する美術監督・今村力の不在が惜しまれるが、砦に吊り橋と空間のお膳立ては申し分なし。だが、戦いの場面は夜・煙・雨と視界不良が続き、戦場の空間の広がりが見られず。各キャラの描き分けも俳優の資質に負う部分が大きく、埋没する者も。贅沢を言えば、往年の時代劇スターが重しに欲しかった。

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ゼンブ・オブ・トーキョー

公開: 2024年10月25日
  • 文筆家  和泉萌香

    坂道グループのメンバーはもう今や2000年代生まれがほとんどなのかとビビる。浅草や竹下通りなど、観光客でいっぱいの実際の場所に溶け込んでいる撮影は、プレスによるとロケの日数がかなり限られていたとのことで、修学旅行ならではのドタバタなタイムテーブルとマッチして効果的。青春映画として以前に、日向坂46とアイドルファンのための映画といえばもうそれまでかもしれないが、彼女たちそれぞれのキャラの立ちっぷりもチャーミングで、気楽に楽しめるエンタメ作。

  • フランス文学者  谷昌親

    修学旅行で上京した女子高生たちがそれぞれ東京の街をさまようという設定はそれなりに映画向きであり、東京各地の風景も悪くなく、女子高生たちの個性も表現できてはいる。映画史にはすぐれたアイドル映画も存在するのだから、女子高生たちを演じるのが演技経験のほとんどない日向坂46のメンバーであることもさほど問題ではない。しかし、女子高生たちが東京の風景のなかにただ点在するショットの集積にとどまり、それらが有機的に結びつかない作品になってしまっているのが残念だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    修学旅行に来た女子高生たちが、班長の統率を逃げ出して各自勝手に行動し始める。アイドルグループに何の興味もない身としても、わちゃわちゃした群像劇として面白く見られたのは確かだ。ただ、題名になっていながらトーキョーが新鮮に見えてくるわけでもないのは、それだけ東京の都市としての魅力が薄れている現在をドキュメンタリー的に反映していると言うべきなのか。ならば別の場所でもよかったし、その地に新たな視点を与えることの方が映画は輝いたのでは。

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リトル・ワンダーズ

公開: 2024年10月25日
  • 映画監督  清原惟

    病気の母親のために、パイの材料を探す一日の冒険譚。妙にませた子どもたち三人組のキャラクターが愛おしい。特にリーダー的存在の女の子の、いざというところできめてくれるクールさにしびれる。怪しい館、日本製の不思議なゲーム機、青い玉のおもちゃの銃など、美術のアイデアも楽しい。現実味に欠ける設定や展開でありながらも、それがただのファンタジーで済まされるわけではないのは、子どもたちの存在感によってだろうか。彼女たちの間になぜだか突然生まれた友情には胸を打たれた。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    「スタンド・バイ・ミー」のような牧歌的で多幸感溢れるキッズ・ムーヴィーと思いきや違った。悪ガキ三人組が病気の母親が大好物のブルーベリーパイを作るのに必要な玉子を横取りした男を追い、謎の魔女集団と対決する羽目に――。逸脱を狙ったプロットは行き当たりばったりで、リアルな描写とファンタジーが奇妙に同居したまま齟齬を来している印象が否めない。2組に共通するのは父親が不在の母子家庭であるということだが、その描き方も中途半端でまったく掘り下げられていない。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    70~80年代に子供たちの冒険映画をたくさん観た。しかし夢中にならなかったのは、仲間との“本物の冒険”の方が楽しかったからだ。そして、あれから何十年を経て観たこの映画は楽しんだ。新鋭監督が描き上げた現代アメリカのユタ州は、美しく広大で、ノスタルジックなパステル画。しかしウェス・アンダーソン映画よりも生身の身体性が豊かである。大人と比べて子供時代の1日はとても長い。だからこそ、たくさんの経験に挑戦したし、勇敢にもなれた。そうした世代を超えた実感を思い出させてくれる秀作。

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八犬伝(2024)

公開: 2024年10月25日
  • ライター、編集  岡本敦史

    最初に始まる「八犬伝」パートのムードのなさに、大丈夫か!?という不安を覚えるが、滝沢馬琴パートに入ると役所広司の芝居だけで十分引っ張るので早々に印象はよくなる。撮り方が平板なところもあるが、物書きの仕事場を描く物語の宿命でもあろう。馬琴と鶴屋南北が芝居小屋の奈落で対峙するシーンが何しろ出色。「八犬伝」パートも文字どおり役者が揃うと俄然覇気が宿り、監督得意のVFXアクションも上々。家族の悲劇と背中合わせの古風なクリエイター賛歌として見応えがあった。

  • 映画評論家  北川れい子

    まずは力作である。美術セットや特撮もそれなりの大仕掛け。「八犬伝」といえば、いまや世界の真田広之も「里見八犬伝」(83年/深作欣二監督)で〈仁〉の霊玉を持つ犬士を演じていたが、今回の原作は山田風太郎。江戸の戯作者・滝沢馬琴が28年かけて伝奇小説『南総里見八犬伝』を完成させるまでの身辺話をベースに、その都度、いま書き上げた部分の怪奇譚を映像化して進行、途切れ途切れで緊張感には欠けるが一挙両得感も。「八犬伝」に託した思いを口にする役所広司の抑えた演技はさすがのさすが。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    牧野省三に始まり、東映時代劇、さらに「宇宙からのメッセージ」「里見八犬伝」へと深作欣二が翻案した話を、VFX畑の曽利が撮るなら意味があると思えたが、さにあらず。原作同様に滝沢馬琴と八犬伝パートが交錯するのが目新しいが、虚実の世界が侵食し合うわけでもVFXが両者を接合させるわけでもないので、二部構成以上のものを感じず。鶴屋南北の芝居を見るくだりに「忠臣蔵外伝 四谷怪談」を思い、エネルギッシュに映画へと転換させた深作のことばかり思い浮かべてしまう。

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グレース

公開: 2024年10月19日
  • 文筆業  奈々村久生

    一台の車で父親と生活を共にする年頃の少女。各地を転々とする日々では同世代や外部の誰かと安定した人間関係を築くことができない。自分で買った下着をトイレで身につけ、着替えも入浴もプライバシーはなく、夜は狭い車内に父親と並んで眠る。その歪さと貧困は今の日本社会でも容易に想像できてしまう。脱出を求めて頼った男性もまた救いにはならない。男性中心社会への絶望と限界。そして辿り着いた海。「大人は判ってくれない」の少年から半世紀以上、少女はようやく同じ場所に立つ。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    こういう静かな、説明が少ない、監督が独自のことをやろうとしてるまじめな映画に、たいていセックスがでてくるのはなぜなのか。われわれ都市生活者はセックスにまったくありつけない(または求めない)か、やりすぎてセックスの意味を失ってるかで、映画(他人の、意味ある人生)とAV(僕が撮ったのも絶対入ってると思う)をかかえ荒野をゆく父と娘は野生動物のようにセックスとでくわすわけだが、セックスに縁のない人はこの映画をどう観ればいいのか。荒涼とした風景が、とてもよかった。

  • 映画評論家  真魚八重子

    草も生えないゴツゴツとした暗い岩場から始まり、オンボロ車に寝泊まりする父と娘の侘しい日常を長回しで追っていく。二人旅が普段の生活となれば停滞も生まれ、移動で眺めが変わっても寂寥感が立ち込める。感情的になるのは男盛りの父の性的な問題で、娘は母への裏切りとして怒りを露わにする。娘の外泊は父を不安にさせるための同害報復だが、父の人肌恋しさも娘はどこかで理解していると思う。静謐な演出は些か退屈さも招きつつ、野外上映に向けて砂を巻き上げ疾走する車の群れのショットなど印象深い。

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ソウ X

公開: 2024年10月18日
  • 俳優  小川あん

    学生時代に「『ソウ』見た? グロいよね?」と話題になっていて、興味本位で見てたあの頃。そして、久しぶりに見て……今はちょっと無理。この不快感をあえて感じたいとは思わない。しかも、いつのまにか首謀者が明かされていて、報復としてあの悪夢の実行をする。陳腐な復讐劇としてしか見られないし、首謀者のサイコパスお爺ちゃんの悲哀な姿など見たくない。身元が明かされないでいたほうが良かったと思う。そのほうが、スリルを守れた。私がお母さんになったら絶対子どもに見せたくない一本。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    後半セシリアが、ジョン・クレイマーの正体を知っていたと言い出すので、「だったらその時点で『こいつに手を出すのはやめよう』と判断しないか?」と思ったのだけど、そういうことを考えて観てはいけない。ゴア・スペクタクルだけでなく、意外にもドラマとしてちゃんとしている。心理とかそもそも必要ないとか、ジグソウはこんなキャラクターであってほしくないという意見もあるだろうが、「命をもてあそぶ」ことへの正当な怒りが表現されていて、シリーズから取り出してこれ単体で観ても悪くない。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    連続ゲーム殺人を描く「ソウ」シリーズ最新作。末期癌で余命宣告を受けた主人公の老人が実験治療を試すためにメキシコへ。しかしそれは詐欺で、彼は詐欺師たちに報復する。あっさり騙される主人公にも、彼の報復に簡単に絡み取られる悪役たちにもまったく感情移入できないまま、映画はおびただしい出血量の殺人ポルノと化す。シナリオにも撮影にも創意工夫は見られず、続篇を予感させる結末にもうんざり。映画の面白さよりも露悪的残酷さに奉仕する製作姿勢に告げたい、「ゲームはもうおしまい」だと。

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破墓/パミョ

公開: 2024年10月18日
  • 映画監督  清原惟

    先祖の怨念を晴らすために改葬を行う呪術師(?)たちのバトル映画。日本でいうところの陰陽師みたいだなと思いつつ、ホラー映画でありながらも仰々しい演出に笑ってしまう場面もあった。埋葬という馴染み深い題材でリアリティを担保しながらも、日本の鬼が出てきたりと突拍子もない展開をしていく。そこから日本の植民地時代の話も混ざりつつ、国家や民族といった大きな枠組みの話になっていっているのが、怖くもあり面白い。主人公の女性の鋭い視線が、このとんでもない設定を支えている。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    この映画はいわば二段構えになっていて、前半のエピソードが圧倒的に面白い。在米の富豪コリアン家族からの依頼で跡継ぎが代々謎の病気にかかっており、お祓いと墓の掘り起こしで多額の報酬を得る風水師、葬儀師の四人組がいかがわしくてよい。巫女が憑依して踊り狂うシーンなど絶品だった。ところが後半は一転、日帝が朝鮮半島の絆を断ち切るために刺した呪いの釘などという大法螺吹きのテーマが朗々と謳い上げられ、異形の歴史オカルトみたいな収拾がつかない事態になってしまった。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    チャン・ジェヒョンのオカルト・スリラー。主要人物が自らを紹介していく快調な冒頭でまず、前作「サバハ」からの熟達を感じられる。前代未聞の悪地に佇む墓の改葬依頼。不審な点が多い。40年間、地官を務めてきたチェ・ミンシクはチームに警告する。ここは悪地の中の悪地で、関われば全員が命を落とすであろうと。あらすじの解説は野暮だろう。ぐいぐい引き込む演出と役者陣の卓越した演技に導かれながら、驚きの展開に身を任せた方がよい。本国での大ヒットもうなずけるエンタテインメントだと思う。

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ジョイランド わたしの願い

公開: 2024年10月18日
  • 俳優  小川あん

    これは……ミヒャエル・ハネケ「ハッピーエンド」との類似性を感じる。タイトル、そして内容の逆転。一つの問題から派生して、家族が最悪の事態に陥る。最後になってやっと周囲が正気を取り戻す時間感覚。同じように、本作も見て取れた。この構成を描き切るのは難しい。主人公の妻が自殺に追いやられた要因を、正確に説明する必要があり、家父長制、トランスジェンダーの要素は慎重に描写しなければならない。「ジョイランド」はバッチリだった。鋭く、重厚感のある作品になっている。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    監督がずっと温めていた題材だけに、ややテーマを盛りこみすぎな気もするが、それでもなお喚起力に満ちた力強い映画。トランスジェンダー女性との出会いによって、自分の真の姿に気づかされていく夫。「女」の枠に閉じこめられまいともがきはじめる妻。文化が違えば先進的なベストカップルとして賞賛されるだろうふたりが、強力な男尊女卑社会の圧力のもと、苦悩するさまが痛々しい。そしてもちろん苦悩するのは彼らだけではない。場面の息づかいをとらえる撮影も、洗練されたタッチの演出も魅力的。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    パキスタンの新鋭監督の初長篇。大都市ラホールに暮らす伝統を重んじる9人家族の失業中の次男が就活で紹介されたシアターでトランスジェンダー女性と出会い、惹かれていく。第三世界LGBTQモノは性的偏見にのみフォーカスを当てがちだが、本作は家族のキャラクター描写が巧みで、次男が保守的価値観と性的多様性の価値観の間で揺れ動く様子が丁寧に描かれる。撮影や編集もモダンで、地球の遠くの国を舞台にしながら、私たちと共感・共有できる物語に仕上がっている。この監督、期待大。

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ピアニストを待ちながら

公開: 2024年10月12日
  • 文筆家  和泉萌香

    自動扉は開閉するのに出ていくことはできない虜囚たる我々はもう、不条理文学談議をしている場合でも、神など待っている場合でもない。新しい図書館における、内輪的なぐるぐるとした遊戯は悲しくも「現代的」と言ってしまえるのかもしれない。「去年マリエンバートで」「世界の全ての記憶」といったレネ的不在と記憶の、そして「皆殺しの天使」的囚われの物語だが、暗示的な世界に対してやや雄弁な説明的なセリフが多いせいか、生きているものと死せるもののあわいにある官能性に欠ける。

  • フランス文学者  谷昌親

    題名が示すように、ベケットの戯曲が下敷きにされており、芝居の上演に向けて稽古をしている人物たちが登場する。物語の展開も不条理劇風で、総じて、きわめて演劇的な作品と言えるだろう。しかしそれでいて、夜の暗闇を身にまとうように佇む建物をとらえた冒頭から、ひとつひとつのショットの力、そしてショットとショットの連なりが生む力が伝わってくる。このふたつの力が交わるなかで作り出される独特の空間や人物の奇妙な存在感は、映画的表現のみごとな達成にほかならない。

  • 映画評論家  吉田広明

    ピアニストは到来すべき芸術=「詩」であり、やがて来る「死」でもあるゆえ、本作は芸術とは、生きるとは何かを問う原理論的作品としての深みを得る。しかし「原理」を言うならば、舞台上の現存に縛られる演劇でこそ「不在」は逆説的に強い存在感を放つが、映画の場合、「在」っても真偽不明のいかがわしい「映像」、その嘘の力こそ映画の面目では、という疑問も浮かばないではいない。とはいえ、与えられた機会を生かして自身の映画に仕上げた力業は、一つの範例たりえよう。

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リリアン・ギッシュの肖像

公開: 2024年10月11日
  • 文筆業  奈々村久生

    映画界の黎明期とサイレント時代を支えた大スターである先輩にジャンヌ・モローが迫った貴重なインタビュー映像。特にグリフィスに関する話は興味深く、スペイン風邪が流行った「散り行く花」の撮影当時、監督が罹患せぬようマスクを着用して臨んだ現場から指でスマイルを作る芝居が生まれたエピソードは、コロナ禍を経た今こそ響く。女性が働いて自活することが困難だった時代に生涯独身を貫いたギッシュが、孤独についての質問に「プライバシーは唯一の贅沢」と答える姿が美しい。

  • アダルトビデオ監督  二村ヒトシ

    映画創成期に、出演者の顔の美しさという「武器」が、クローズアップの技法を育てた。リリアン・ギッシュという美しすぎる眼と唯一無二の瞳の角度をした女の子が存在したから、その技法が観客の心に定着した。AVを撮っててもいつも思いますが、どんなジャンルの今では誰にでも知られた技法も、それを世界で初めてやった人がいて、それを世界で初めてやらせた人(思いついて命じてやらせた人ではなく、その人の存在に吸い込まれるように、やったほうは思わずやってしまった)がいるのだ。

  • 映画評論家  真魚八重子

    リリアン・ギッシュは素朴な役柄でしか観たことがなかったため、インタビューの席に赤と黒の瀟洒なチャイナ服で現れた姿に、女優としての矜持を改めて認識した。まさにハリウッドバビロンの時代に清楚な佇まいでいられた精神が、いかに強靭であったかを思い知る。グリフィスを尊敬しつつも、数年間共同作業をした恩師にすぎず、映画より舞台俳優であったことが印象付けられる。監督で聴き手のJ・モローは様々な角度から微笑むショットがあり、尋ね方は謙虚だが、自分の見せ場作りに余念がないのはさすが。

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若き見知らぬ者たち

公開: 2024年10月11日
  • ライター、編集  岡本敦史

    壊れかけの家族を描いたからといって、映画自体がバラバラになってしまうのは如何なものか。クライマックスの試合シーンは確かに迫力あるが、作品に貢献しているかというと疑問。映画制作には時間がかかるので、おそらく今の日本の若者を苦しめている問題をリアルタイムで描いたら、また違った中身になっただろう(困窮と政治批判が全然絡まないのはさすがに不自然)。また、コロナ禍を経て映画料金が2000円に跳ね上がったあとの企画なら、こんな鬱屈した作劇になったろうかとも思う。

  • 映画評論家  北川れい子

    時代の気分をリアルに描いた内山監督の前作「佐々木、イン、マイマイン」は、世間に向かってザマアミロ!と一緒に叫びたくなるような青春群像劇だったが、今回は話が無理無理過ぎて、いささか置いてきぼり状態に。父の残した借金と精神が病んだ母を抱えてギリギリに生きている兄弟の話で、それでも兄には献身的な恋人やよき友人もいるのだが、とんでもない悲劇に。弟が総合格闘技の選手で試合の場面はかなり演出に力が入っているが、世間の理不尽さを描くにしても設定の強引さはやはり気になる。

  • 映画評論家  吉田伊知郎

    前作と同じく内山監督が造形する世界には瞠目するが、これでもかと不幸が背負わされ、重苦しい空気が沈殿するので疲弊する。社会や権力への憎悪が希薄なせいか、主人公たちを不幸にさせているのは他ならぬ作者ではないかと思わせる作為性が気にかかる。一方、この窒息しそうな世界を、手綱を締めたま描き切る手腕が突出しているのも認めないわけにはいかない。生と死の境界が不意に越境して画面に出現する瞬間や、終盤の総合格闘技場面の技法も装飾もかなぐり捨てた描写が印象的。

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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

公開: 2024年10月11日
  • 俳優  小川あん

    ジョーカー、またの名、アーサー・フレックについに終止符。ホアキン・フェニックスの俳優としての居方は真に感銘を受ける。人間離れした表情、身体性、重心のずれ、初作では、ジョーカーを追求し、演じ切った。次ぐ本作は、当人が映画の中でリーと共に歌っていた、まさに愛のエンタテインメント。人間を描くなら愛を探究するのは分かる。が、もったいない。ジョーカーとして、生まれ変わった後に、普遍的な感情に揺さぶられてほしくなかった。興奮が足りなかったのは逸脱しなかったからだろう。

  • 翻訳者、映画批評  篠儀直子

    ジョーカーに「過去」や「内面」を付与してしまったのは前作限りしか通用しないことで、絶対無理が来るけどどうするんだろうと思っていたら、形式面(ちょっと「オール・ザット・ジャズ」っぽい)でも内容面でも、やっぱこうするしかないよねという作品に。ジョーカーとアーサーとに主人公が引き裂かれるさまも、前作のほうがよく描けていた気がするけれどどうだろう。ガガ様の影が思ったより薄いが歌は最高。個人的には「バンド・ワゴン」の上映プリントが無事だったかどうかが気になって仕方ない。

  • 編集者/東北芸術工科大学教授  菅付雅信

    「バットマン」に悪役で登場するジョーカーの誕生秘話を描いた「ジョーカー」の続篇。前作で逮捕されたアーサーは刑務所の中でリーという謎の女性と出会う。全米が注目するアーサーの裁判が始まり、彼の二重人格性に焦点が集まる。レディー・ガガ演じるリーが大きな役割を占め、二人の妄想ミュージカルが全篇にちりばめられた続篇は、人々がカリスマやエンタテインメントを切望することへのスペクタクルな批評だ。今シェイクスピアが生きてこれを観たら、泣いて悔しがるであろう、時を超える悲喜劇の傑作。

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はじまりの日

公開: 2024年10月11日
  • 文筆家  和泉萌香

    主人公と、物語を進行させるためだけに存在しているような都合のいい登場人物たちや台詞にくわえ、肝心の二人が打ち解けていく様子がまるでダイジェストで、現実の強度がゆるいために、夢のミュージカルシーンがひどく浮いて感じられてしまう。男が(彼らに名前を与えないのも効果的と思えないが)薬物に走ってしまったのにはさまざまな葛藤があったのだろうと想像するも、娘との和解シーンもとってつけたよう。歌声はもちろん素晴らしいのだが、ドビュッシーの言葉の引用も的外れでは。

  • フランス文学者  谷昌親

    中村耕一、そしてとりわけ遥海の歌がすばらしいし、ミュージカルシーンの華やかさにも目を奪われる。だがそうした音楽関係の要素を取り除いてみると、劇映画としてのあり方に物足りなさを感じてしまう。主人公の二人が隣人で、職場も同じという偶然があっても悪くはないが、それが映画的に活かされているかというと疑問だし、なにより二人が古ぼけたアパートに流れ着いているという設定が重要であるのに、そのロケーションがほとんど書き割りのようになってしまっているのが残念だ。

  • 映画評論家  吉田広明

    一度地に堕ちた歌手と、同じく底辺に沈んでいた女性が、共に助け合い、歌によって再び活路を見いだす。舞台は日本の地方都市、主人公らが住むのは路地のアパートだが、女性が歌うのは英語、しかもその歌詞は前向きで多幸感に満ちており、なおかつ歌い方も朗々、ミュージカル風に演出される部分もあって、ほとんどディズニー作品のように聞こえる。泥臭い物語と歌が水と油、昭和の平屋住宅にシンデレラ城が乗っかっているようだ。「PERFECT DAYS」を連想させるのも不利に働く。

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二つの季節しかない村

公開: 2024年10月11日
  • 映画監督  清原惟

    夏と冬しか存在しない村での、閉塞感に包まれた人々の生活を描いた作品。主人公の男性は、かなりどうしようもない人間だが、それで得をするわけでも裁かれるでもなく、一人の住人として怠惰に生きている。時折挟まれる誰とも知らない人々のポートレート写真を見て、まさに主人公がその一人にもなりうる、市井の人であるに過ぎないことを示しているのだと思った。ただやはり彼にはどうしても嫌悪感をぬぐえず、女性の家を訪ねるシーンでは早く帰ってほしいと心から願ってしまった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    昨年のTIFFで見て忘れがたい印象を受けた。とにかく見る者の共感や感情移入を完璧に拒む美術教師サメットの造型がうんざりするほどにリアルだ。トルコ辺境のこの村を「ゴミため」と呼んで嫌悪し、苛立たしいまでに自己中心的で狡猾な冷笑家。一方で彼が撮った肖像写真はウォーカー・エヴァンスを思わせる親密さが漂う。義足の教師ヌライとの10分を超える烈しいディスカッションは篇中の白眉だが、次第にこの鼻持ちならぬ人物を見舞うある受難が普遍性を帯びた切実な寓意として迫ってくるのが圧巻だ。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    「昔々、アナトリアで」「雪の轍」に感銘を受けた名匠の新作。流暢な語り口と壮大な風景画、彫りの深い人物像と会話の緊張感に時間を忘れた。一面的な人物は出てこない。誰もが別の顔を隠していて、そのことから人生の背景を想像させる。中でも興味深く、時に不快な人物は主人公である。この男の感情を揺さぶる二つの出来事が起こり、観る者は、彼の反応や対応に眉をひそめながら、そこに自分自身の似姿を発見できるだろう。役者の顔がみな見事。各人物の関係性でしか語り得ない物語なので、短評は空しい。

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金で買える夢

公開: 2024年10月5日
  • 映画監督  清原惟

    他人の頭の中を見ることができる主人公が、客の願望を汲み取った夢を売る商売をはじめる、精神分析的な作品。夢というアイテムを使い、通常のナラティブのなかに、そうそうたる作家たちの描いたシュルレアリスム映像を落とし込んでいく。イメージの面白さもありつつ、映像が誰かの夢や願望を反映できるといった、映像というメディウムそのものにも言及するような描写が興味深い。ただし、男性の夢のほとんどが、女性に対する欲望を表すようなものだったのには、少し辟易としてしまった。

  • 編集者、映画批評家  高崎俊夫

    ハンス・リヒターがレジェ、エルンストらシュルレアリストたちの協力でつくったオムニバス。他人の内心を読めることに気づいた主人公が事務所で《夢》のビジネスを始めるという設定は当時、隆盛のフィルム・ノワールの私立探偵を思わせる。ヴォイス・オーヴァーの活用、ヴェロニカ・レイク風の金髪の美女の依頼人。それらはあくまでエロティックな夢想の断片としてのみ提示されるだけだ。眼球のクローズアップが頻出するのはやはりブニュエルの「アンダルシアの犬」の影響だろうか。

  • 映画批評・編集  渡部幻

    ハンス・リヒターが1947年にマンハッタンで制作したという前衛映画。“夢”のビジネスを始めた男の事務所に、願望や欲望、夢、怖れと虚しさを秘めた人々が訪ねてくる。探偵映画風の設定で、ロッド・サーリングのTV番組『ミステリー・ゾーン』のエピソードを連想させる邦題でもあるが、語り草のシュルレアリストが参加している。シュルレアリスム宣言から100年の夢の映像表現、歴史の1コマに想いを馳せる意義を感じたが、イメージの造形が弱いので、ぼくは夢に踏み迷うような快楽を味わえなかった。

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スケジュールSCHEDULE

映画公開スケジュール

2024年11月29日 公開予定

アウトサイダー コンプリート・ノベル ‐4Kレストア版‐

フランシス・フォード・コッポラ監督が1983年に手がけた青春映画「アウトサイダー」を、原作小説により忠実なものへと再編集した2005年発表のディレクターズカット版。このバージョンは日本では、2024年11月29日より開催される「70/80年代 フランシス・F・コッポラ 特集上映 -終わらない再編集-」(新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか)で、4Kレストア版にて初公開。

雨の中の慾情

「岬の兄妹」「さがす」の片山慎三監督が、『ねじ式』『無能の人』などで知られる伝説の漫画家・つげ義春によるシュールな短編作品を映画化。二人の男と一人の女が織り成す、独創性溢れる数奇なラブストーリーであり、ほぼ全編、台湾にてオールロケを敢行した日本×台湾共同制作作品。出演は「まともじゃないのは君も一緒」の成田凌、「わたしの見ている世界が全て」の中村映里子、「ヒメアノ~ル」の森田剛。

英国ロイヤル・バレエ&オペラ in シネマ 2024/25 ロイヤルオペラ「フィガロの結婚」

世界最高峰のバレエとオペラの魅力に満ちた至福の時間を映画館の大スクリーンに映しだす「英国ロイヤル・バレエ&オペラ in シネマ 2024/25」からモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」を上映。モーツァルトが作り上げたこの傑作オペラは、フランス革命が迫った時代に伯爵家の使用人フィガロと、伯爵夫人の小間使いスザンナの結婚を巡る一日を描いた物語。巨匠デイヴィッド・マクヴィカーが2006年に続き、2024年9月に再演した舞台が早くも登場。アルマヴィーヴァ伯爵役のヒュー・モンタギュー・レンドール、フィガロ役のルカ・ミケレッティ、スザンナ役のシボーン・スタッグ、伯爵夫人役のマリア・ベンクソン、ケルビーノ役のジンジャー・コスタ=ジャクソンなど、実力と魅力を兼ね備えたキャストに注目。

TV放映スケジュール(映画)

2024年11月25日放送
13:00〜14:32 NHK BSプレミアム

雨あがる

13:40〜15:40 テレビ東京

コナン・ザ・グレート

19:00〜20:54 BSジャパン

AVA/エヴァ

20:00〜21:55 BS松竹東急

現代やくざ 与太者の掟

2024年11月26日放送
13:00〜15:19 NHK BSプレミアム

エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事

13:40〜15:40 テレビ東京

サロゲート

18:00〜19:45 BS12 トゥエルビ

剣鬼